コラムで統合的運動生成概念セミナー!はじめます。
みなさま,おつかれさまです,舟波真一です。
BiNI COMPLEX JAPANも7年目に入り,
「運動の成り立ちとは何か?」をともにお考え頂いている仲間も増えてまいりました。
運動は大脳皮質で,意識して,考えながら行うものではありません。
我々もそうでしたが,あかちゃんが最初に一歩を踏み出す時,
中殿筋や腹筋を意識的に使って,「体重を支える」ことを頭で考えたりしません。
そこには,運動が自動的に成り立ってしまう何かがあるはず。
その何かを追求することが,我々の最初でした。
絶えず目の前にありながら,理解することが困難な現象,「運動」。
これまでの運動分析は,その運動の場面や要素を分解して理解しようとしてきました。
運動は,姿勢の連続である,という考えや,神経・筋・骨・関節を部分的に切り取って問題点を抽出する還元的な手法や観点です。
しかし,生命や知能,社会など「生きている」システムを要素に分解して理解することは不可能です。
なぜなら,同じ構成要素でも全体の文脈の中でその振舞いが変化し,それによってまた全体が変化するという循環的な仕組みになっているからです。
「生きている=運動」というシステムを理解するには,「複雑系」(Complex System)という新しいシステムの捉え方が必要になります。
それは,システムを構成する要素の振舞いのルールが,全体の文脈によって動的に変化してしまうシステム(系)です。
運動を構成する神経・筋・骨などの振舞いは,その動作場面によって動的に自己組織化されます。
運動の要素を「姿勢」に分解し,またその構成要素に分解していくことは,生命ある人の運動を考えていくうえでは不十分といえます。姿勢もまた運動だからです。
重心動揺計による立位の足圧中心の変位をみても,我々人は止まることが出来ません。
むしろ,病的な状態によって総軌跡長や外周面積は減少することすらあります。
一見,静的にみえる姿勢でも,静止することは不可能で,運動は常に紡がれています。
運動は姿勢の連続ではなく,運動は運動として捉えなければなりません。
ゆえに,我々は,運動を以下のように定義しました。
『静的といわれる姿勢も運動であり,神経・筋・結合組織などの身体構成要素の振舞いが時空間的な環境という文脈の中で自己組織化された「生きている」という生命の動的な秩序である.』
自己組織化とは,無秩序状態から外部からの条件が加わらなくとも秩序が形成されることを意味します。
複雑系・カオスの反義語が秩序であるが,混沌から,理由は分からずとも秩序だったものが形成されうる場合もあることを考えれば,運動という組織だったものが動的な秩序であるという結論は理解に難くありません。
つづきはまた…
舟波真一でした。